関東大震災に学ぶ、首都直下型地震への対策~東京・横浜の壊滅~

伊勢佐木町(越前屋)『横浜震災被害写真帖』(横浜市中央図書館所蔵)所収

防災の日の9月1日は、関東大震災が発生した日でした。首都直下型地震への備えが叫ばれるいま、過去の災害を検証して現代の防災へとつなげましょう。

関東大震災は、複合災害(マルチハザード)だった

大正12年(1923年)9月1日土曜日午前11時58分に発生した関東大震災(推定マグニチュード7.9)は、前日の台風一過による強風と地震という二つの災害が組み合わさったことにより被害が増大し、東京と横浜を壊滅させるほどの大火災が発生。

東京は実に3日間に渡って燃え続け、死者・行方不明者10万5,385人、家屋の全壊10万9,713棟、家屋の半壊10万2,773戸、焼失21万2,353棟という、未曾有の大災害を引き起こしました。

2つ以上の災害が同時に発生する複合災害(マルチハザード)の可能性は、常に起こりうることです。高層建築物や人口が集中した都市部がひしめく現代では、常に複合災害が発生するという前提で、防災対策を検討する必要があります。

マンションの防災では、とかく揺れへの対策と備蓄に目が向きがちですが、地震が火災を発生させるということをもっと念頭に置いた防災活動を考えなければいけません。

武村雅之先生の関東大震災関連の書籍で、起こりうる災害を学ぶ

武村雅之『関東大震災を歩く 現代に生きる災害の記憶』(吉川弘文館、2012年)

武村雅之先生は、関東大震災の過去の記録を丁寧に掘り起こし、23区内をくまなく調査し、そこから生き延びた人々の証言や史実を後世に伝える取り組みをなさっています。この未曾有の震災経験を風化させず、防災意識を高めるためにも、こうした書籍をぜひ読んでみてください。

関東大震災では、墨田区横綱長の元陸軍被服廠跡地での地獄絵のような火災が有名です。避難に必死で初期消火が行われなかったことにより、未曾有の大火災が発生してしまいました。現代の我々もいま一度、発災後の初期消火の重要性をしっかりと認識する必要があります。

その一方で、橋の上に運び込んだ家財道具をすべて川に捨てさせて、延焼を防いだ浜町の新大橋の「人助け橋」の話や、町の人が一致団結して防火に努めてその町内だけが焼け残った神田和泉町・佐久間町の話などもあります。

万一の際に生死を分けるのがリーダーの機転やコミュニティの一致団結といった点にあるということを、胸に刻み、日々の防災に努めようという決意を新たにしていただきたいものです。

関東大震災の被害は東京だけではない!横浜も壊滅的な被害だった

今井清一『横浜の関東大震災』(有隣堂、2007年)

関東大震災という後年についた名前のせいか(当初は大正大震災と呼ばれていました)、東京の被害が甚大だったと思われがちですが、実は横浜のほうが地震の揺れは激しく、倒壊家屋も加えた消失家屋数の比率は横浜の方が高いほどでした。「東京は大火災、横浜は大地震」とよく言われますが、横浜でも密集した住宅地での火災消失は激しいものでした。

横浜市立大学名誉教授の今井清一先生は、横浜で起こった関東大震災についてその被害状況を詳しく調査されています。

避難民で溢れた横浜公園が、東京の元陸軍被服廠跡地のように火災に焼き尽くされることなく難を逃れたのは、水道が溢れたこと、さらに緑の樹木が多かったために防災林のように火災を防いでくれたことだと指摘されています。また、東京・上野公園でも20万坪の大緑地が、50万人の命を救ったといわれています。

シイやカシ・タブなどの直根性の木々が火災の延焼を防いでくれる防災林の役割は、阪神・淡路大震災でも同様に立証されました。常緑樹は火に対しての抵抗力が強く、火災に遭った半分の枝葉が燃えていても、反対側の枝葉が緑のままで火災を持ちこたえた公園や神社の事例が数多くありました。木々が「火防木(ひふせぎ)」として家屋や人々を守ってくれたのです。

いまの若い人の中には、現在の山下公園が関東大震災の瓦礫で埋め立ててできた公園だということを知らない人も多いようです。横浜での被害は、横浜市中央図書館のサイトにまとめられていますので、是非ご覧ください。

横横浜市教育委員会 横浜市中央図書館 関東大震災を調べる

地震による二次被害、「山津波」の恐怖

関東大震災の最大激震地区は神奈川県でした。一般に東京・横浜は火災の被害が大きく取り上げられていますが、丹沢一帯・箱根南部は山崩れによる被害が甚大でした。特に、根府川で起こった山津波による列車遭難事件では、乗客200名を乗せた列車が停車場の建物と共に、山津波に呑まれて海中に流没しました。

災害は常に想定外の被害を生み出します。大震災は、火災、山津波、津波、さまざまな複合災害を生み出す可能性があること、その危険性を過去の災害の事例からできる限り学び、あらゆる最悪の事態に備えること、それが現代に生きる私達に与えられた課題です。

内閣府「広報ぼうさい」第39号 過去の災害に学ぶ(第13回)1923(大正12)年 関東大震災/武村 雅之

いまも現存する関東大震災の記憶を調べる

当時生き残った人のインタビューや記念館で、関東大震災を知る方法もあります。

東京大学社会情報研究所の故廣井脩先生は、生き残った方々へのインタビューをホームページにまとめていらっしゃいます。生存者20名の方へのインタビューは大変貴重なものです。

関東大震災体験者インタビュー

避難した人達の家財道具に火が点いて火災旋風が巻き起こり、3万8千人もの人々が犠牲になった元陸軍被服廠跡地は、現在慰霊碑や震災記念館のある公園になっています。こちらにもぜひ足を運んでいただきたいです。

東京都立横綱町公園 震災復興記念館

火災旋風の恐怖を知る

首都直下型では、関東大震災のときのように、倒壊した高層ビル群による火事や噴煙、火災旋風が予想されます。関東大震災の火災がどれだけのスピードで東京や神奈川を襲ったのか、シミュレーションをされている神奈川大学のホームページがあります。

地震と火災の恐ろしさを、いまいちど胸に刻んでください。震災で、小さな火種を見逃せば大火になります。特に都市部では、避難時に火を見つけたら必ず消火することを徹底したいものです。

住んでいる地域のハザードマップを入手する

お住まいの地域の自治体で、ハザードマップを用意しているはずです。避難経路の確認、倒壊の危険性のあるものの確認、倒壊したら、火災が起きたらどうなるのかを、ぜひご家族でシミュレーションしてみてください。

関東大震災は、都市で災害が起こる恐ろしさをいまの我々に伝えてくれています。この教訓を忘れてしまうのではなく、次の世代に語り継いでいくことがいまを生きる我々の使命なのです。

次のページ:大正時代の被害と現代の被害想定との比較

※関東大震災の情報は、以下に準拠いたしました。
内閣府 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成18年7月「1923 関東大震災」

2014/09/01

プロフィール

国崎 信江

危機管理アドバイザー。危機管理教育研究所代表。女性として、生活者の視点で防災・防犯・事故防止対策を提唱している。文部科学省地震調査研究推進本部政策委員、防災科学技術委員などを務める。講演活動を中心にテレビや新聞など各メディアでも情報提供を行っているほか、被災地域で継続的な支援活動も行っている。

おもな著書に『大地震対策 あなたと家族を守る安全ガイド : ビジュアル版』(法研)、『震度7から家族を守る家: 防災・減災ハンドブック』(潮出版社)、『マンション・地震に備えた暮らし方 (地震防災の教科書)』(つなぐネットコミュニケーションズ)などがある。


株式会社危機管理教育研究所

一般社団法人危機管理教育研究所