陸前高田から学ぶ防災の教訓~子ども達を守る保育の現場から~

米崎保育園の保育士さん達

東日本大震災の体験から学ぶ防災シリーズの第三回目は、保育園や学童施設、子育て支援グループの方々からお話を伺いました。子どもを守る現場に携わった方々が、震災当日どう行動して、震災後の子ども達のケアを通して何を感じたのかについて語っていただきました。

米崎保育園で保育士の方々に当時の様子を伺う

東日本大震災の前に移転する予定だった米崎保育園の新園舎。通りの向かいにある木造園舎から新園舎へ引っ越しする前に、大震災が起こりました。

災害から子どもを守りたい、それはすべての親御さん共通の気持ちです。親御さんだけでなく、子どもを預かる保育士の方々も同じこと。陸前高田市の米崎保育園に勤務する保育士さん達に、東日本大震災当日、子ども達をどうやって守ったのかについて伺いました。

当時、保育士の皆さんはそれぞれ、陸前高田市や大船渡市の保育園に勤務していて震災に遭いました。

写真左から、米崎保育園に勤務する菅野益恵さん(下矢作保育園)、佐々木フミ子さん(竹駒保育園)、菅野恵子さん(大船渡市 赤崎保育園)、佐藤和未さん(広田保育園)、吉田さやかさん(震災時は福島で被災)。※( )内は、震災当時勤務していた保育園名。

各保育園の被災状況
米崎保育園

震災時に市内で一番古い保育施設だったため、道路向かいに新しい保育施設を建設中に震災が発生。津波の被害はまぬがれました。

竹駒保育園

平成20年3月に新園舎が建設された保育園。海など全く見えない場所に建設されていて、気仙川からも離れていたため、津波の被害などまったく想定されていませんでしたが、浸水し、園内の備品はすべて流されました。

下矢作保育園

竹駒保育園よりさらに奥にあり、津波の想定をしていなかった保育園。まったく海が見えない場所にあり、まさに想定外という保育園です。ここは、ギリギリで被災をまぬがれました。

広田保育園

広田町の中学校と旧広田水産高校校舎の近くにあり、高台にあったものの、津波が床上まで来ました。

※上記は米崎小学校仮設住宅自治会より情報ご提供いただきました。

皆さん震災当日は、まさに子ども達を預かっている仕事の現場での被災だったと思いますが、子ども達を安全な場所へ避難させ、親御さんに託すまで、どのように行動されたのでしょうか?

佐藤和未さん「当時、広田保育園に勤務していましたが、園に向かう途中で警報を聞きました。防波堤に煙のようなものと波が見え始めていました。まだ揺れが収まらない最中に保育園へ向かいましたが、園庭には大きな地割れ。園児の人数を確認している間に皆の衣服を詰めて、裏山を上り、広田高校のグラウンドに逃げました。どこまで津波が襲ってくるか予想もつきませんでしたが、裏山がなかったらきっと助からなかったと思います」

佐々木フミ子さん「竹駒保育園ではお昼寝の時間に震災が起こりました。津波が襲うまでにはほとんどの子どもの父兄がお迎えにきたのですが、お迎えの来なかった何人かの子どもを連れて、裏山へ避難しました。海の見えない場所だったので、まさかこの場所まで津波が襲ってくるとは思わなかったのですが、消防団の人に“早く逃げろ”と促されて避難できました」

菅野益恵さん「どの場所でも携帯がつながらず、防災無線も途切れてしまい、私達は情報が断絶された状態に陥っていました。園で預かっていた園児が皆、無事だったことだけが救いでした」

被災後は、一軒ずつ回って園児の安否確認

保育園では日頃から防災訓練を行っていますが、その時の園児の様子はどうだったのでしょうか?泣くことなく迅速に行動できたのでしょうか?

菅野益恵さん「地震の際の避難訓練は常に行っていましたので、子ども達もびっくりしていましたが泣くこともなく避難できました」

佐藤和未さん「避難所でも、泣くこともなく、興奮状態に陥る訳でもありませんでした。あまりに突然で何が起こっているかわからなかったのかもしれませんが。何日か後に、“地震、怖かった”って言いだす子もいました」

菅野益恵さん「震災後の園児の安否確認は大変でしたね。発災時に父兄が園から連れ帰ったあと、自宅にいるのか、避難所にいるのかもわかりません。電話も繋がりませんし、個人情報の問題もあります。園長と職員とで手分けして、家や避難所を訪れて、一軒一軒確認してまわりました」

佐藤和未さん「避難所の名前の張り出しがあったので、園児の住んでいる地区を探しては、明るいうちに自転車で行ける範囲を回りました」

菅野益恵さん「ガソリンスタンドも被災していましたから車は使えません。下矢作保育園の園長も自転車で安否確認しては、保育園に名前を貼り出しました。入園時に、園児の家の地図のコピーをとってありましたので、それを頼りに各家庭を回りました」

震災が教える教訓/安否確認

災害時の安否確認は大切です。安否確認時に役立つのが名簿。マンションでも安否確認のための名簿づくりを進める動きが活発です。また、自分の子ども達の通っている保育園・幼稚園の防災訓練にも積極的に関わり、災害時の避難場所や連絡方法などについてもしっかりと確認しておきましょう。

避難時に持っているとよかったもの

保育園では毎月1回防災訓練を行っていました。普通のマンションなどよりもはるかに訓練回数も多く、すぐさま防災行動をとれるように職員も教育されています。

「これが園長の持ち出しリュックです」と、菅野益恵さん。

菅野恵子さん「お散歩用のリュックには、常におやつや懐中電灯が入っていますので、それがそのまま防災持ち出し品にもなります。園長の持ち出し用リュックには、地図付きの園児の自宅リストも入っています」

保育士の皆さんに伺った、避難時にあった方がよかったものは以下のようなものでした。

避難時にあると便利なもの

・ウェットティッシュ
・おやつ(避難リュックにお煎餅やクッキー、飴など)
・メモとマジック(携帯がないときも、安否確認や伝言などに使える)
・ソーラーパワーのヘッドライト(両手が空いて子どもを抱えることができて便利です)
・おんぶひも(小さい子どもをすぐにおんぶできるように、サラシのヒモでも構いません)
・子どもの着替え(子どもの場合、お漏らしの心配がありますので準備しておくと安心です)
・軍手やゴム手袋
・帽子や手ぬぐい(瓦礫の中を避難する場合もあるのでヘルメットなどがない場合にとっさに使えます)

佐藤和未さんと吉田さやかさんに、おんぶ紐の使い方を教わりました。小さいお子さんのいる家庭では、防災持ち出し袋に入れておきたいですね。

避難時には、自分のことよりもまず子どもの命を守るのが大切だったため、車に私的な貴重品を置いたまま、携帯も持たずに避難したという保育士さん達。震災後の防災行動にも少し変化があったようです。

吉田さやかさん「翌年からは、すぐ手の届く場所に携帯を置いておくように指示されました」

佐藤和未さん「余震がある間は、エプロンのポケットにはいつも携帯や笛を入れて備えていました」

菅野恵子さん「携帯を手作りポシェットに入れて常に身につけている先生もいらっしゃいますね」

震災が教える教訓/防災に役立つものを携帯する

携帯電話を常に持っている人は多いはずですが、どこへ出かけるにしても、もしこの場で地震が起きたら?と考えて、防災に役立つものを携帯する心構えは大切です。もしマンションのエレベーターに閉じ込められたら?買い物途中で地震に遭ったら?そうやって最悪の状態を想定して、防災に役立つものは何か、常に問いかけながら携帯したいものです。

小さい頃から“自分の命は自分で守る”と教える

東日本大震災後、保育園や幼稚園では、発災時に保護者が迎えにきても、警報が解除されないうちは子どもを返さず、保護者にも一緒に避難行動をとるように促すことを徹底するようにもなりました。災害時には、その時にどう行動するかという瞬時の判断が命を分けることもあります。

吉田さやかさん「“自分の命は自分で守る”、園児にも小さいうちからそういう思いを伝えるのは大切だと思います」

佐藤和未さん「園児とのお散歩コースでも、もしここで何か起きたらどこへ逃げればいいのかというイメージができているといいですね。園児と避難した時は、後ろから逃げてきた中学生が園児の手を引っ張ってくれました。防災では、地域との連携関係が本当に大切です」

保育の現場で進む、防災訓練マニュアルの整備

岩手県私立保育園連盟発行の「東日本大震災 岩手県私立保育園の記録」(左)、社会福祉法人岩手県社会福祉協議会・保育協議会「平成26年度岩手県保育研究大会」(右)。

東日本大震災を受けて、保育の現場でも防災訓練マニュアルや防災行動の情報共有が進んでいます。
社会福祉法人岩手県社会福祉協議会・保育協議会「平成26年度岩手県保育研究大会」では、竹駒保育園 園長の村上和加恵さんにより防災訓練マニュアルの詳細な運用方法や研究の実践について発表が行われています。

岩手県私立保育園連盟発行の「東日本大震災 岩手県私立保育園の記録」では、私立保育園における震災発生から復興までの道のりの記録がカラーでまとめられており、保育園で被災した事例として貴重な資料になっています。

研究発表や記録を通して、保育の現場で“みらいの防災”へつながる情報共有が行われているのは、とても素晴らしいことです。こうした情報共有が、日本全国に広がってほしいですね。マンション防災でもぜひ見習いたいものです。

次のページでは、大船渡市の保育現場や学童施設に携わる方々にお話を伺いました。

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2015/03/03