陸前高田から学ぶ防災の教訓~いまも続く仮設住宅での生活~

米崎小学校仮設集会所

ここからは、前ページでご紹介した米崎小学校仮設住宅と米崎中学校仮設住宅の住民にお伺いした、発災直後の体験、避難所運営、仮設住宅での暮らしについて、まとめてご紹介します。
「皆さんの被災体験が、都心のマンションで暮らす人達にも起こったら?」という視点で、教訓として活かす方法を考えてみましょう。

車で避難することの危険性

震災時には車は使うなとよく言われますが、今回のように平地に津波が襲ってきた場合には、車で逃げるしかなかったケースも多々あります。

村田静子さん「私も車で避難しました。一斉に皆車で逃げたので、道路は大渋滞。そこに偶然若い男性が現れて交通整理をしてくれて難を逃れることができたんです。もう、その人が神様に思えましたよ。あの人も助かっているといいんだけど。いまでも渋滞に巻き込まれている人たちの“助けて!”という声が忘れられないです」

佐藤トキ子さん「高台にいたじいちゃんが、上から下の方に向かって“車を置いて逃げろ!”と叫んだけど、それはもう地獄絵のようになっていました」

震災が教える教訓/車での避難

都市部では、車での避難は危険だと言われています。渋滞に巻き込まれて動けなくなるのはもちろん、ガソリンの入った車での避難は、落下物や事故に巻き込まれて、引火する可能性もあるからです。

震災直後にすぐ必要になったものは?オムツ、生理用品

金野ミエ子さん「被災後すぐは、下着やホッカイロがほしかったですね。数日経って届くようになったときは有り難かったです」

金敦子さん「避難所では、子ども用のオムツがなくて困っていたお母さんが多かったですね。最初はたった1〜2個しかオムツが来なかったり、大人用オムツだったり。支援物資を送っているのは男性なんだな、と思いました。女性ならオムツは大量に必要だってわかりますから。生理用品が不足していて、若い女性から相談されたこともあります。これらは、被災しなかった人達から分けてもらって当座をしのぎました」

震災が教える教訓/家族にとって必要な生活用品の備蓄

マンションで被災生活を過ごす場合に備えて、乳児のいる家庭なら粉ミルク・オムツ、生理用品、コンタクトレンズ液など、家族にとって必要な生活用品を少し多めに備蓄しておきたいものです。いつもの購入数+数日分の備蓄数を加えて、使いながら備蓄する「流通備蓄」を考えましょう。

避難所運営で注意すること〜支援物資の配付ルール

「津波が来て唯一よかったことは、人の善意を信じられるようになったことですね。でも同じことを、他の人にお返しできるでしょうか。こんな状態では心許ないです」と話す、米崎中学校仮設住宅の吉田タイ子さん、藤丸秀子さん、金野ミエ子さん。

菅原律雄さん「震災直後は、支援物資が大量に届くと、順番を抜かして物資を取っていく人もいました。こういうときには人の本性が出るもんですね。物資を欲しいのはわかるけれど、こんなときだからこそ、もっと考えて行動するべきだと思いました」

吉田タイ子さん「衣料メーカーから大量の衣服が届いたときには、サイズを書き出している間に、勝手に持っていく人もいましたね」

避難所の運営は、皆が自主的に行っていたそうですが、まだちゃんとルールが出来ていなかった頃に勝手な行動を取る人がいるのも仕方がありません。その後すぐにルールを決めて、役割分担を行い、勝手な行動をとる人を出さないようにしたそうです。

たとえば米崎小学校では、ある程度みんなに分配できるほどの量が貯まってから、靴の日・子供服の日・男性物の日・女性物の日というようにテーマを決めて平等に分配するようにしていました。長期にわたる避難生活にルール化は必須ですね。

震災が教える教訓/ルールの策定

避難所やマンション内被災生活をする際には、みんなで話し合ってルールを策定する必要があります。食料や水、支援物資の分配方法、高齢者や乳幼児に優先的に行き渡るように配慮するなど、協力しあって公平な取り扱いを考えたいものです。

支援物資が届かない!自宅避難の問題点

佐藤邦子さん「うちは、嫁さんの実家に家族で避難していたので、個人宅避難になりました。朝、神社のわき水を汲んで、14〜5人の食事を朝・昼・晩つくっていました。おじいちゃんが木を拾いに行ってストーブを焚いてくれました。年寄りは物持ちがよくてストックも多かったから助かりましたが、お米やガソリンがなくて困りましたね」

村田静子さん「個人宅に避難していた人は、支援物資が自動的に届く避難所生活とは違って、食料の配付がなくて困っていましたよね。公民館で“個人宅で避難しています”と登録して、食べものも、日に3回避難所へ受け取りに行くんです」

金敦子さん「米崎小学校の避難所は、車で来やすい場所だったので、豊富に救援物資が届いていました。他の避難所では、表に看板を立てている訳でもないので、まったく救援物資が届いていないところもあったと、後から聞きました」

震災が教える教訓/マンション内避難生活

避難所が少ない都心の場合、災害時には、マンション住民はマンション内で避難生活を過ごすことになります。支援物資の配給の問題などについては、日頃から自治体や地域の自治会・町内会と密接に連携して連絡体制をつくっておきましょう。

それぞれの経験と技能を活かして自主的に役割を担う

米崎小学校仮設住宅の佐藤トキ子さんと金敦子さん。

金敦子さん「私は元看護士だったので、避難所ではなるべく“具合の悪い人はいませんか?”と声をかけて回りました。お年寄りは声をかけてもらっただけでも安心するじゃないですか。いまの自治会長の佐藤一男さんが、消防団だったので自主的にリーダーとして動き始めてくださって、とても頼りになりました」

佐藤トキ子さん「避難所では、自然とそれぞれが出来ることを受け持つようになっていきましたね。消防団の人は避難所の規律やルール作りを受け持ってくれて、赤い袢纏を着ている姿を見るだけでも安心できましたよ」

金敦子さん「女性は賄い担当で、私は食料の受け入れ担当でした。届いた食料を見て、みんなで献立を考えていました。自治会組織が出来上がるまでは、自発的にそうやって助け合っていました」

震災が教える教訓/特技を活かして助け合う

災害時は、医師・看護士、消防団員などの技能のある人は、特技を活かして助け合う必要があります。ふだんから、住民同士、互いの特技や技能を知っていたいものですね。そのためにも日頃からのご近所づきあいが大切なのです。

仮設住宅の現状とこれからの問題

仮設住宅は、一人暮らしは1K、二人暮らしは2K程度のサイズです。それぞれ建っている場所の日当たりや方角によって温暖差も違います。しかし全般的に言えるのは、冬は結露、夏は無風状態で籠もる暑さ。皆さん、そんな不自由な住環境で4年過ごしていらっしゃいます。

また、これから個々に移転したあとの支援についてどうなるのかも見えていません。自宅再建ができたあとにも不安はつきまといますが、まずは仮設住宅から出て自宅を持つことが、住民の皆さんの希望になっています。私達も、仮設住宅の皆さんが少しでも早く自宅再建できることをお祈りしています。

津波の教訓を桜の植樹で未来に伝える〜「桜ライン」の試み

では、震災を忘れないために、私達に出来ることは何でしょう?

いま陸前高田市では、東日本大震災を風化させないために、陸前高田市内の津波到達地点に17,000本の桜を植樹するプロジェクト「桜ライン311」が活動中です。

米崎小学校仮設住宅自治会 会長の佐藤一男さんが副代表を務めている「桜ライン311」スタッフとボランティアの手によって、今回の津波の到達点に桜の苗を植樹し、後世の人々に、桜の木よりも上に避難するように伝えるため、桜の苗の植樹とその後の管理が続けられています。未来に、命を守るメッセージを伝えるためにも、末永く美しい桜が災害の警鐘となってほしいものです。

「桜ライン311プロジェクト応援マップ(マピオン)」で植樹の進捗の様子が見られます。「桜ライン311」では、マンスリーサポーターを募集中です。

桜ライン311
http://www.sakura-line311.org


「陸前高田から学ぶ防災の教訓」シリーズの次回は、陸前高田市・大船渡市で乳幼児を守った保育園の保育士さん、学童保育の方々に当時の様子をお伺いします。子ども達を災害から守るために出来ることを学びたいと思います。

2015/03/02