陸前高田から学ぶ防災の教訓~いまも続く仮設住宅での生活~

米崎中学校仮設住宅

東日本大震災の被災地の現在を伝えるシリーズ第2回目の今回は、陸前高田市の仮設住宅にお住まいの皆さんにお話を伺いました。

復興に向けて市街地のかさ上げ工事や高台移転工事が進行中ですが、震災からまもなく4年になろうとする現在も、仮設住宅で自宅復旧を待つ方々がいらっしゃいます。

皆さんの震災体験、そして現在の仮設住宅での暮らしについて、陸前高田市の米崎小学校仮設住宅と米崎中学校仮設住宅にお住まいのシニアの方々にお話を伺いました。

米崎小学校仮設住宅〜災害は想定以上のことが起こり得る

手前の小学校体育館奥に見えるのが米崎小学校仮設住宅。

米崎小学校仮設住宅は、2011年5月から米崎小学校のグラウンドに建設され、約60世帯が住み、いまも47世帯が入居しています。個々の自宅再建や高台移転計画も少しずつ進み、2015年には多くの方々が仮設住宅から新居へ移っていく予定です。

仮設住宅の近くに建設されている集会所は、自治会によって運営。定例お茶会やイベントが催されて、仮設住宅の住民交流の場として活用されています。

集まってくださった米崎小学校仮設住宅にお住まいの皆さん。写真左から、佐藤トキ子さん、金敦子さん、村田静子さん、佐藤邦子さん、佐々木順子さん。

仮設住宅にお住まいの皆さんは、自力再建または市が進める高台移転計画で建設が進められている災害公営住宅への入居を待ち望んでいらっしゃいます。とはいえ、資材の高騰や職人不足のため、完成予定は当初の予定よりかなり遅れているそうです。(※2014年取材時点)

とてつもない被害をもたらした東日本大震災は、皆さんの人生を激変させてしまいました。過去にチリ地震津波を体験したご家族を持つ方も多くいらっしゃいますが、災害への心構えなどは教えてもらっていたのでしょうか?

金敦子さん「うちの家の一階のふすまには、チリ地震津波の時に津波が来た水の跡がラインになって残っていました。とにかく子どもの頃から高いとこへ逃げるんだと口を酸っぱくして言われていましたから」

佐々木順子さん「チリ地震津波のときは、家の神棚の下まで津波が来たと聞かせされて育ち、少しでも高台の方が安心だと3回も引っ越しましたが、結局家は流されてしまいました。今度の高台への集団移転で親戚4軒が集まって住むことになりましたが、まだまだこれから、という感じです」

震災が教える教訓/想定外の災害は起こり得る

いままで聞かされてきた災害の記録以上の、想定外の大災害は起こり得ます。それは、過去の災害の教えが無駄だったという訳ではありません。いつ何時でも、災害は等しく誰にも起こり得るのです。教わってきた教訓や勝手な思い込みを捨て去り、いつも最悪の状態を考えて行動したいものです。

“モノもお金もいらないから、津波が来たら逃げろ”お舅さんの教え

佐藤トキ子さん「津波情報を聞いたときは、まさか町の中心部まで来るとは思っていませんでしたからね。私は山の方から海側へ嫁いできたんですけど、お舅さんには “モノもお金もいらないから、津波が来たら早く高台へ逃げろ”ってずっと言われ続けていました」

村田静子さん「津波が来るとわかって、みんなで声かけして避難したんですけど、私は民生委員の仕事をしていましたから、大切な仕事のファイルを取りに戻るために一度引き返しちゃったんです。本当はやっちゃいけないことですけど、運良く間に合って避難できました」

佐藤邦子さん「私は会社の仲間と会社のバスで高台へ逃げて、しばらくバスの中で過ごしました。心配だから家へ帰りたいと言う社員もいたんですが、社長が“何かあったら責任を取るから”と言って社員を帰さなかったんです。あのとき、もし社員を家に戻していたらきっと命をなくしていたはずです」

佐藤トキ子さん「震災前に陸前高田の避難所を市民体育館にすると決まったときに反対した人は、小さいときから平地はだめだ、高いところへ逃げろと聞かされていたそうです。だから災害当日も市民体育館には避難せずに、ばあちゃんを連れて違う場所へ逃げて助かったという人もいました」

震災が教える教訓/とにかく逃げる

災害に直面したとき、一瞬の判断が生死を分けます。また、人の言うことに惑わされず、瞬時に避難方向を判断することも大切です。いくら大切なものでも取りに戻らない。自分の命を優先する。“命よりも大切なものはない”ということを、日頃から頭に叩き込んでください。

その後の体育館での避難所生活

避難所となった米崎小学校での生活はどのようなものだったのでしょうか?
ちょうど卒業式前だったため、体育館にはシートを敷いて準備してあったそうです。避難してきた人達は、そこで、柔道のマットや畳、近所から持ち寄られた新聞紙や毛布を敷いて、暖を取りながら寄り添って余震の中を過ごしました。

発災後から4日目で自衛隊が到着、10日目にはお風呂が設置され、救援隊も続々とやってくるようになりました。お米や野菜は近隣の被災していない家から届けてくれたり、3日目の夜には大船渡市の回転寿司屋さんから停電して使えなくなった冷蔵庫から鮨が差し入れられたりするなど、多くの人から手を差し伸べられました。皆さん、このときに差し伸べられた人の善意は、感謝してもしきれないと口々におっしゃっていました。

佐藤トキ子さん「長く時間が経ってしまうと、じきに忘れてしまうのが人の心ですけれど、災害に遭ってない人達も東日本大震災のことを決して忘れないでほしいですね」

お土産にいただいた、住民の皆さんの手作りフクロウのチャーム。米崎小学校の玄関を守るフクロウの像がマスコットになっているそうです。フクロウは、「不苦労」「福朗」という縁起のいい言葉につながるように、これからは、フクロウが、いいことだけをもたらしてくれるといいですね。

米崎中学校仮設住宅の集会所替わりのトレーラーハウス

米崎中学校仮設住宅(左)とトレーラーハウスの集会場(右)

次に私達取材チームは、陸前高田市米崎町の米崎中学校グラウンドに建てられた89戸の仮設住宅を訪問しました。ここには、米崎町および高田町などで被災された方々が生活されています。

仮設住宅近くには、日本RV輸入協会から寄贈されたトレーラーハウスがあります。ここは、仮設住宅に訪ねてきた人と会う場や、住民のための集会所として使われています。また、シニア住民向けの交流の場「デイサロン・ボンジュール」が定期的に集会所で催されるなど、住民の憩いの場としても利用されています。

震災が教える教訓/共助のための集会所

災害時に集会所の存在と役割は重要です。もしマンションが被災してマンション内被災生活が始まったら、エントランスホールや集会所などの共有部分をうまく活用して防災対策本部を設ける必要があります。そしてこうした共有の場所は、不安や悩みを発散する場としても機能してくれます。

米崎中学校仮設住宅の皆さん。写真向かって左から、吉田タイ子さん、藤丸秀子さん、金野ミエ子さん、菅原厚さん、菅原律雄さん。

仮設住宅ではいま、住宅再建が大きな問題となっています。すぐに自立できるのは若さとお金のある人から。年金生活で生活をしている人には、新たなローンを組むのも難しい問題です。

金野ミエ子さん「みんな、“自分のところは大丈夫だ”って思っていたからね」

菅原厚さん「俺とこなんか、じいさんがチリ地震津波のときには津波が来なかった土地だからあそこに家を建てなさいって言われて家を建てたんだが、流されてしまった。あの世に行ったら、じいさんに文句言ってやんなきゃならねえ」

「なんで津波なんか来たのか。思い出す度に悔しくて眠れなくなる」と言う菅原厚さん。

「もう誰にもこんなことが起こってほしくない」だから防災を!

菅原厚さん「新しい家でも建てたら気持ちも変わるんだろうけど、年金生活者には資金繰りが問題だからね。正直言えばこんなこと考えるのもわずらわしいんだけど、どうしようもない。家の問題で悩んでいる人は多いと思うし、みんなで集まって、融資の方法を考えるべきじゃないかな」

吉田タイ子さん「うちもまた家を建てるかどうか悩みましたよ。息子夫婦は東京や埼玉に住んでいるんですけど、もし将来首都直下地震が起こったら、あの子達の避難場所としてうちが役立つかもしれないと思って、家を再建する決心をしました。でも、何をするにしても五十歳くらいなら借金してでも家を建てるんだろうけど、土地があっても役に立たないし。震災前と後では、本当に生活が激変しました」

藤丸秀子さん「うちも家を建てて20年しか経っていませんでしたからね。滝壺に落とされたような感じです」

金野ミエ子さん「たまに眠れない日もありますよ。こうして命はもらったけれど、もっともっと災害を伝えるのが大切だなと思います」

菅原律雄さん「厚さんと二人で津波に流されて、いまこうして何年も生きているのが不思議なくらいだけど、もうこんなことは、日本中どこにも起こってほしくないですね」

菅原厚さん「津波が来たら、誰の命よりも自分の命を守るために逃げろ!と世界中の人に伝えたいね。目の前で手を差し伸べてすがろうとした人やガレキと一緒に流されていった人の目が忘れられない。
都会でも、防災マップをつくって安心していちゃだめだ。自分の頭で危険を判断して行動しなくちゃ。旅館に行ったら非常口を探すとか、仕事でもどこに行ってもそうやって行動することを頭に入れて欲しいね。私達が経験したようなことは、もう誰にも起こってほしくないんです」

いつどこにいても、東日本大震災の記憶を忘れてはいけない。
菅原さんたちの言葉を、しっかりと私達の心に刻み込みたいと思います。

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2015/03/02