新旧建築と都市計画の変遷が残る、パリ郊外のブローニュ・ビヤンクール市

パリの南西にあるブローニュ・ビヤンクール市は、ブローニュの森に接し、セーヌ川が通る閑静な高級住宅地として知られています。以前に紹介したルノー工場跡のエコ・カルティエ建設も、このブローニュ・ビヤンクール市にあります。

パリ郊外 ルノー工場跡にエコ・カルティエが建設中

パリのお隣にある豊かな街ですが、第二次世界大戦後の復興期の住宅から、1970年代の集合住宅、そして21世紀に入ってから現在に続く都市計画に基づいた新建築まで、さまざまな建築様式と都市計画の考え方の変遷を見ることができる街でもあります。ガイドツアーに参加して、街を歩いてみました。

セーヴル橋からセーヌ川とブローニュ・ビヤンクール市を見たところ。

セーヴル橋からセーヌ川とブローニュ・ビヤンクール市を見たところ。

第二次世界大戦中、フランスはドイツに降伏し、ブローニュ市にあったルノー社はドイツ軍の下で製造を行っていました。このため同市は連合国軍の爆撃を受け、多くの建物が被害を受けたそうです。このため終戦後、集合住宅の建設が急務となります。時間と経費の削減のため、壁や窓などすでに造っておいたパーツを組み立てる方式で建設され、工法の“規格化”が進んだ時代といえます。

1949年から52年にかけて建てられた集合住宅。

1949年から52年にかけて建てられた集合住宅。

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1970年代になると、駐車場を地下に、地上階には商店が入居する集合住宅が誕生。車が通らない地上は広場になり、住民同士の交流を促す役割も果たしていました。

戦後の直線的なラインから、丸みを帯びた有機的なデザインに。

戦後の直線的なラインから、丸みを帯びた有機的なデザインに。

広場を囲むようにして造られた住宅。広場ではいまも子供たちが遊んでいます。

広場を囲むようにして造られた住宅。広場ではいまも子供たちが遊んでいます。

こうした集合住宅のスタイルが理想的だと考えられていましたが、地下のセキュリティーの問題なども発生し、“閉鎖性”が課題となります。現在、ブローニュ・ビヤンクール市が進めている都市計画は、1970年代の閉鎖的な住宅施策から、“開けた建物”へと変わっているそうです。

セガン島のエコ・カルティエも、まさに2025年を目指して進めているプロジェクトの一つ。日本人建築家の坂茂さんがデザインした「シテ・ミュージカル(音楽の殿堂)」の工事も、着々と進んでいました。

セーヴル橋から見える工事中の「シテ・ミュージカル」。

セーヴル橋から見える工事中の「シテ・ミュージカル」。

新しいオフィスビルや集合住宅も誕生しています。

2016年3月終わりに落成式が行われたオフィスビル「シティライト」。ビルの両側にドアがあり、ビルの裏にある集合住宅に抜けられる造りになっています。

2016年3月終わりに落成式が行われたオフィスビル「シティライト」。ビルの両側にドアがあり、ビルの裏にある集合住宅に抜けられる造りになっています。

2016年建設の「シティライト」(右)と、1970年代の集合住宅が隣り合わせに建っています。

2016年建設の「シティライト」(右)と、1970年代の集合住宅が隣り合わせに建っています。

製薬会社のオフィス(右)や新しい集合住宅が造られ、地区の雰囲気もどんどん変わっています。

製薬会社のオフィス(右)や新しい集合住宅が造られ、地区の雰囲気もどんどん変わっています。

上の製薬会社のオフィスはジャン・ヌーヴェルの作品で、2011年に完成。遠く離れてみると、まったくスタイルが異なる3つの塔が重なって、一つのビルになっています。

上の製薬会社のオフィスはジャン・ヌーヴェルの作品で、2011年に完成。遠く離れてみると、まったくスタイルが異なる3つの塔が重なって、一つのビルになっています。

上の写真を見て、キリン?と思った方もいるはず。実は2012年に完成した幼稚園。ここからは見えませんが、建物の右側には北極クマもいます。

上の写真を見て、キリン?と思った方もいるはず。実は2012年に完成した幼稚園。ここからは見えませんが、建物の右側には北極クマもいます。

街のあちこちで工事が続いています。

新旧の建物が混在していきます。

新旧の建物が混在していきます。

街の都市開発によって移転してきた企業が、新しいビルを建築した例もあります。正面の黄色い建物は「ミシュラン」、その横のガラス張りのビルがスポーツ紙「レキップ」。

街の都市開発によって移転してきた企業が、新しいビルを建築した例もあります。正面の黄色い建物は「ミシュラン」、その横のガラス張りのビルがスポーツ紙「レキップ」。

現存する集合住宅は、公園が整備され、エレベーターの設置工事も行われていました。

現存する集合住宅は、公園が整備され、エレベーターの設置工事も行われていました。

ルノーの工場があった痕跡を示す建物も残っています。

1984年に建設され、2001年に改装した後、ルノーの広報センターとして使われていました。工場を思わせる屋根が印象的です。

1984年に建設され、2001年に改装した後、ルノーの広報センターとして使われていました。工場を思わせる屋根が印象的です。

購入したプロモーターは新しい住宅に建て替える計画だったそうですが、反対意見もあったため、もっとも特徴的な屋根のある部分を残し、半分だけ住宅に建て替えると発表されています。

あらためてブローニュ・ビヤンクール市を歩いてみると、複雑な歴史の名残をあちこちで見ることができました。まだまだ整備の途中ですが、変わっていく姿を追っていくのも興味深いもの。有名建築家の作品も多く建てられていますので、都市計画の歴史をたどりながら、新旧の建築散歩をするのも楽しい街になりそうです。

2016/10/08

プロフィール

三富 千秋

パリ在住のフリーライター。パンや菓子、料理など食の話題を中心に雑誌や食専門誌に発信しているほか、フランス人のライフスタイルについてのコラムも執筆。フランス人の日常生活をさらに知るべく、フランス各地で取材中。


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